純度

人間は、いくらでもぼんやりと生きることができるけれど、ぼんやりと死ぬことは難しいのではないかと思う。死ぬということは、小難しいことを考えなければ、やっぱりはっきりと死ぬと思う。

いかにその人らしく明瞭に振る舞い、いかにその人らしく必要なことだけをはっきりと言い、はっきりと死ぬか。それは生きる上で、1つの死活問題ではないかと思う。ぼんやりと生きていると、はっきりと「ただ死んで」しまう。そして、その人がなんであったのかははっきりしない。

 

なんにせよ、死ぬ時ははっきりと死ぬけれど、そうなってくるといかに「その人らしく明瞭に、必要なことだけ」ではっきり生きられるかということが肝要になってくると思う。これはなかなかに難しくて、ピュアに生きる、純度高くあり続けるということを、人は容易に見失ってしまう。すぐにぼんやりと振る舞い、ぼんやりと言葉を発してしまう。

生きていると迷う。迷って、はっきりとしてみたり、ぼんやりとしてみたりということを繰り返す。ただ、やはりどこかで、自分というものをはっきりさせることが大切だし、そこに歪みがあると、どうしても魅力は出てきづらいのではないかと思う。

 

はっきりしているから、愛されるということではない。むしろ、はっきりしているからこそ、好き嫌いは分かれるだろうと思う。そうだとしても、生きるということは自分をはっきりさせていくことなのではないかと思う。