良い認識、について

問題解決に取り組む際には、まず最初に知覚すること、そして認識することが必要だろう。情報が無いことには、問題にどう取り組んでよいのかを考えることができない。   「認識」というのはある程度、哲学的な用語だが、ここ...

問題解決における人間の存在について

的(まと)を定める、ということは思っている以上に難しいと思う。 内面生活での問題はもちろん、自身の中に的を定めていくこともあるだろうと思うが、日々の中で処理すべき問題の的は通常、自身の外にある。本来、関心を持たれるべきは...

解決の源泉 – 学習を可能にするもの

人間であったり、機械であったりにおいて、学習を可能にするのは「中間イメージの存在」であると言われる。中間イメージの在り方は人間と機械で異なるのだろうと思うが、中間イメージが知覚のグループ化や一般化を可能にし、ある認識に基...

問題解決、あるいは対話の可能性

そもそも、問題解決は可能な行為なのか。これは重要な問いなのではないかと思う。   質問をして、あるいは質問をされて、答えるという行為を考えてみた時に、質問に対して答えているという対話を見ることは案外に少ない。質...

目的合理的な相互的行為

問題解決の定義は様々にあるが、私は「問題解決とは、目的合理的な相互的行為である」だと思う。もしくは、「相互的な目的合理的行為」としても良い。 目的合理性を先に持ってくるか、相互性を先に持ってくるかは、本質的には共通だと思...

予想する思考、仮説する思考

数学において、「予想」とは未だ真とも偽とも証明されていない命題をいう。リーマン予想や、1995年に証明されて定理となったフェルマー予想(フェルマーの最終定理)、京都大学の望月教授の論文で脚光を浴びているABC予想などが有...

人間らしさ、機械らしさ

知的さには、基準と広がりがある。言い換えると「らしさ」があるということだと思う。子どもらしさ、大人らしさ、コンサルタントらしさ、クリエイターらしさ、日本人らしさ、イギリス人らしさ…。 子どもらしい大人がいたり...

知的とは何か

「あなたは人間ですか?」と訊かれたとする。理由は人それぞれだと思うが、多くの人は「おそらくはそう」だと思う。 では、「あなたは人間的ですか?」と訊かれたら、どうだろうか。少し難しい気がするが、なんとなく自身の「人間的な度...