問題解決、あるいは対話の可能性

そもそも、問題解決は可能な行為なのか。これは重要な問いなのではないかと思う。

 

質問をして、あるいは質問をされて、答えるという行為を考えてみた時に、質問に対して答えているという対話を見ることは案外に少ない。質問者の意図と、回答者の意図は大抵ずれているし、ほとんど対話として成立していないことも多い。

質問と回答のやり取りは、一方もしくは双方に「問題解決」の意志が存在しない時にしか成立しないように思う。問題を解決したい場合は、それぞれは自身の問題に対して取り組んでいるので、関係のないやり取りを、それぞれの意味付けによって為しているに過ぎないということが多い。

 

双方が問題解決をしようとする場合、そこには対立が発生しているので、結局は問題解決にフォーカスは当たらず、いずれの問題が正しいのかというやり取りになってしまう。

一方、対話を行うためには双方が意図を持ち過ぎないことが必要となるため、問題解決の色合いが薄くなってしまう。

 

問題解決を成立させるためには、非常にクレーバーな対話か、もしくは理想的なリーダーシップが必要だろうと思う。人でも対話でもなく、問題に、それも共通の問題にフォーカスを当てていくのは、それほど簡単ではないと感じる。