問題解決における人間の存在について

的(まと)を定める、ということは思っている以上に難しいと思う。

内面生活での問題はもちろん、自身の中に的を定めていくこともあるだろうと思うが、日々の中で処理すべき問題の的は通常、自身の外にある。本来、関心を持たれるべきは問題それ自体なのだが、人間はその問題に関わっている人に関心を向けやすい。人は、人に関心を持つように設計されているのだろう。

 

なぜ人は、それほどに人が気になるのかという問いは、それはそれでとても興味深いが、ここでは問題解決という文脈における効果について考えてみたい。

問題解決において、それに関わる人々の間に信頼があるかどうかは大きな影響を及ぼす。人は問題解決において、人為を感じているのだと思う。個々人の問題解決という行為への関わり方に、善意や悪意といった感情を見出しているのだと思う。そして、そういった感情が問題解決という行為を複雑なものに感じさせてしまう。そういう意味で、問題解決を業務委託するコンサルティングというモデルには、一定の合理性がある。

 

使い古された言い回しではあるが、「何を言うかではなく、誰が言うか」。通常は、「自分が言っても誰も聞いてくれない」「あの人が言う通りにしかならない」といった文脈で使われるが、人の心を油断させて、本音を引き出すという効果もある。

人間は相手を見て、攻撃的になったり、臆病になったりするので、攻撃的な面(いわゆる本音)を引き出そうと思うのであれば、その人のそういう面を引き出しやすい環境を作ってやれば良い。

 

ただ、最後は結局、「問題解決」という1点に神経を集中させることが大切だと思う。問題解決というテーマにおいて、人間の存在は制約であったり、ファクターであったりに過ぎない。もし、問題解決の中心に人間がいるのであれば、それは「その人間が問題解決のテーマ」であるということだと思う。

人間を見つめなければ問題は解けないが、人間だけを見つめていても問題は解けない。見つめられた人間は、自分と問題を混同しやすいが、問題はあくまで問題であるという感覚が、解決に繋がっていくと思う。