博士課程で政治学を専攻している友人が、「効率の追求も、幸福の追求もできない政治学を探究していくことの難しさを感じる」と言っていたことが、なんとなく心に残っている。
「政治学」とは、政治を対象とする学問分野らしい。では、「政治」とは何かというと、Wikipediaやら何やらを少し読んでみただけでは、「政治とは何かという問いは、なかなかに難しいものだ」という以上のことはわかりづらい。
「社会に対する希少価値の権威的配分」というのは、なんとなくかっこいい。政治が権力と利害対立に関わるものである、というのも、なんとなくそういう気がする。
関心(テーマ)によって何に着目するかが異なってくる点は、他の学問や思考とあまり差異はないと思う。惑星科学なら、火星を対象の中心に置く人もいれば、金星を対象の中心に置く人もいるのと似ているように感じる。
何がわかりづらいのかというと、それは対象ではなく、目的変数なのだと思う。
学問に対して目的変数という概念を持ち出すのは、やや本質的ではないのかもしれないが、とにかく、例えば経済学であれば「(経済)効率」がそれになりうるし、心理学や社会学であれば「幸せ」のようなものがそれになる感じがある。
しかし、政治学の中心に位置する権力というものが、すでに希少価値(全員に等しく、必要としている分だけ配分できるほどには量のない状態)として定義されてしまうと、少なくとも最大化を目的にはしづらいし、最適化も困難だろうと思う。
効率と幸福の狭間にこぼれ落ちるものが、世界には確かにある。それに対峙し続けることが困難であることもまた、確かであるように思う。