善悪

何が善で、何が悪であるか、ということはなかなかわからないことだと思う。善悪というのはやはり難しいことで、相対主義やポジショントークの域を出てそれらを判じることは、少なくとも僕には不可能に思える。

同時に、現代の行き過ぎた相対主義が善悪というもの自体に対する確固たる信念を失わせてしまわせることもまた、少し違うのではないかと思う。

 

僕の感覚としては、善は単純で、悪は錯雑ということは言えるのではないかと思う。そこにある意図や行為が善的であるのか、悪的であるのかはわからないけれど、善なるものは単純さという徳を備えている。単純であるから簡単であり、単純であるから難しい。

一方、悪は錯雑であるから難しいけれど、錯雑であるから容易でもある。同じ行為でも単純なうちは良いが、錯雑になるといろいろことが壊れてしまう。例えば、嘘にしても、復讐にしても、それ自体の善悪は判じ難いけれど、錯雑になると良くないことになると思う。そこで止まることは人間には難しいというのはあると思うけれど、単純で美しい嘘や復讐はある。

 

僕としては、もし善悪というものを僕なりに判断した方がよい場面に遭遇したら、単純という徳によって考える。もちろん、立場や好き嫌いというものはあるし、わざわざ必要もないのにそれを誰かに伝えることもないけれど、僕の中にはそういう善悪の基準があるということだと思う。

単純という徳は、持続性と繋がっていると思う。永く続いているもの中には、単純さのヒントがある。そして、この持続性という性質は、善の難しさに通じている。善は単純である点で簡単だけれど、それを続けるというところに難しさがある。悪は錯雑である点で困難だけれど、どうにでもなるというところに容易さがある。