時に宜しくある、ということは難しいものだと思う。大抵の判断というのは、状況によって変化するものである。その時においては宜しい、というものである。
お金を使うべき時もあれば、使わないべき時もあるし、仕事をするべき時もあれば、しないべき時もある。寝た方が良いこともあるし、夜更かししても良いこともある。
人間の脳というものは、おそらくは概ね記憶で出来ているのだから、基本的には過去を参照して行動する。過去の行動が正しかった、と思っていると、同じ行動を繰り返す。間違ったと思っていると、間違いを犯さないという思考や行動に陥りがちになる。
時宜を外し始めると、思考も行動も混乱してくる。「どうして今、それをするのか」ということが増えてくる。あるいは、「どうして、それが出来ないのか」ということが増えてくる。
人間は、その生存・防衛の本能からなのか、ポジティブよりネガティブを記憶として保持しやすい。そういう視点においては、「正しかった」と思っていることの多くは、実は「間違っていなかった」という正当化によって成立しているように感じる。冷静な判断、というのはあまり存在しないだろう。
結果として、どちらかと言うと、人は生きるほどに消極的になりやすい。やるべき時にやれない人間は、何事もおいてもやれない、ということになる。一方で、積極的な人間は時に暴走しやすい。
時に宜しくある、ということは難しいものだと思う。物事や自身に対して、なるべく深く、かつシンプルに理解していくということが大事なのではないかと感じる。