なんとなく、「好きなもの」や「嫌いなもの」を伝えることは特別だと思っている。好きなものも嫌いなものも、自分の弱さや醜さを晒してしまうような気がして、とりわけ思春期の頃からは怖くなってしまったというのもあると思う。
特に人間を好きになったり、嫌いになったりすることについては、自身の中の狂気が怖い、ということを若いころにはよく考えていたように思う。慎重と言えば聞こえが良いが、要するには、臆病なのだろう。
好きなものとも、嫌いなものとも、本当は適度に付き合えると良いのだと思うのだけれど、修養が足りないので、なかなかそうもいかない。好きなものは摂取しすぎてしまうし、嫌いなものは拒絶しすぎてしまう。
自分自身の立場や性質が変わったり、対象に対する見方や感性が変わったりして、好きだったものが苦手になることもあるし、嫌いだったものに近づくこともある。そう考えてみると、好きも嫌いも流れていくものなのだから、そっと思っていればよいことなのだけれど、ついつい和を乱してしまいがちである。
ただ、そういう危うさがあるから、それを伝える相手というのは特別だと思っているのかもしれない。正直、伝えられても困るし、場合によっては迷惑だろうと思う。伝えることで和が乱れるということもあって、伝えることには、好き嫌いそれ自体を超えた難しさもある。
だから、好き嫌いを伝えるというのは、やはり特別なことだと思う。いつか、好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、とどんな時でも穏やかに言えるようになれたら良いなと思う。