深い地下にある降車駅からエスカレーターを4本ほど上がって地上に出て、すぐ目の前にある横断歩道に向かって歩道を横切ろうとしたところで、歩道を自転車が通り過ぎようとするのを感じた。乗っていたのは小学3-4年生か、5年生くらいだろうか。
礼儀正しい少年で、スピードを緩めて止まってくれて、「どうぞ」という感じで手振りと目で促してくれたので、子どもを優先して通してあげた方が良いかなと思いつつ、その振る舞いに感謝して、そのまま目配せと軽いお辞儀をして先に通させてもらった。
自転車は車道が基本だけれど、13歳未満は歩道を通行することができる。彼はちゃんとヘルメットも被っていて、とても自然に歩行者に道をゆずってくれて、僕もそこまでぎこちなくならずに彼の好意を受け止めて、謝意を返せたような気がして、少し嬉しく感じた。
というは、完全に僕の主観なのだけれど、思い込みだったとしても、相手も自分もポジティブを共有しているような感覚というのは、優しい思いやりの良さを感じさせてくれると思う。
様々で複雑な事情は置いておいて、人と人(に限らず、動物でも植物でも、場合によっては無生物でも)の間に、何か互いを肯定するような感情が流れるというのは、幸せなことだと思う。身近な存在だと、なんだか難易度が高くなってしまうような気もするのだけれど、笑顔で、軽く目を見て挨拶を交わしたり、感謝を伝えたりすることの効用はとても大きいと思う。
本当に何かが共有されているのかはあやしいし、実際には独立した感情がそれぞれに発生しているだけなのだろうと思うけれど、そういうものが「思いやり」というものに近いのかもしれないと思う。