The form is a part of the world over which we have control, and which we decide to shape while leaving the rest of the world as it is.
The context is that part of the world which puts demands on this form ; anything in the world that makes demands of the form is context.
Fitness is a relation of mutual acceptability between these two.
C.Alexander, “Notes on the synthesis of form”, 1964
デザインという行為に取り組む際に、捉えておいた方が良い重要な前提の1つは、「我々はすべてをコントロールすることはできない」ということである。むしろ、「我々がコントロールできるのは、世界のごく一部分である」と思う。
例えば、住環境をデザインしようと考える。もっと具体的に言えば、賃貸で家を探そうとする。そうすると、家賃相場というものにぶつかる。普通の感覚では家賃相場はコントロールできないので、私たちはコントロールできる範囲内で、要求を満たす家を探すことになる。そういう限界や境界の中に、デザインという行為はある。
クリストファー・アレグザンダーは、「この世界で形に対する要求となるものはすべてコンテクストである(anything in the world that makes demands of the form is context)」として、”コンテクスト”を定義している。
“コンテクスト”をこのように大きな概念として定義すると、”形”が”形”として世界に出現した瞬間に、”形”それ自体が”コンテクスト”に取り込まれる。その形自体が、形に対しての要求となる。
“形”をデザインしようとしている段階において、我々は”形”をある程度コントロールできるが、デザインが進むにつれて、”形”は”コンテクスト”として、”形”に要求する世界へと変化する。”形”自体が制約となっていく。
これは、組織デザインの例などで考えるとわかりやすいと思う。組織のデザインに着手し、その輪郭が見えてくると、その輪郭やそれを形成したプロセスに含まれているやり取りが、組織デザインに対する制約となってしまう。
開かれた世界における、そういう限界と循環がデザインという行為の構造に含まれている。変化を含めた構造を、デザインという行為の中に含められると良いが、人間の思考は流動的なもの、不安定なものを好まない傾向があるため、なかなかに難しい。
「完璧にはならない」という現実も、デザインをしようと考える人間の思考を悩ませることになる。通常、人間はかなりシンプルにしか物事を捉えたり、考えたりすることができない。
こういった前提を認識した上で、なるべくシンプルなところから、「”コンテクスト”の要求に応える”形”を出現させる」という行為、つまり、デザインについて考えてみたい。