外側

外側があるとは知っていても、そう簡単に外側を意識することはできない。それと同時に、外側を知ることが幸せというわけでもない。人間は誰しも、内側に生きている。

井の中の蛙、とはよく言ったものだけれど、そう考えている誰かもまた、井戸の中にいる。誰もが井戸に生きているし、他人の井戸を笑うことはできない。誰かの井戸を笑うことは、自分の井戸を笑うことと、ほとんどなんら変わらないと思う。

 

どういう人に憧れるかというと、むやみに批判的でない人、誰かを蔑んだりしない人、他人に期待をしない人、そして、誰かのお世話をする人かなと思う。自分にはどれも当てはまらなくて悲しい気もするけれど、なんとなく言葉にしておかなくてはいけない気もしたので、記しておく。

もうひとつ、今を必死に生きている人に憧れる。必死にもがいて、今だけを見つめて生きていくくらいしか、愚かな人がまともにある術はないと思う。僕たちは井戸の中で生きているけれど、それが井戸の中なのか、井戸の外なのか、ということは問題ではなくて、僕が僕を生きることができているかどうかが大切だと思う。

 

外からの刺激、というもの自体は存在するけれど、それをどう処理しているかというと僕の内側が勝手に解釈しているだけだと思う。それでも僕は、他人からの批判が怖くなったり、他人が嘘をついているのではないかと恐れてしまう。

世界が優しいかどうか、なんてことは関係なくて、僕がどうありたいかだし、僕がどうあれるかが大切だと思う。そんなことを思うのは、自分にはそれができていないからだけれど、生きていくにはどうしても強さが必要だなと感じる。