マッチ

僕が子どもの頃、多くの飲食店、喫茶店はもちろん、寿司屋や焼肉屋、居酒屋やスナックなどにはマッチが置いてあった。店名や住所、電話番号などが書いてあって、箱の大きさや形は意外といろいろあって、持ち手は木のものもあれば、紙のものもあったと思う。

おそらくは煙草を吸う客のために置かれているもので、席の灰皿の上に置かれていたり、レジの横に置いてあった。何故だかは覚えていないのだけれど、子どもの頃、それを集めるのが趣味で、食事に行くと大抵は貰ってきていた。

 

我が家はわりと外食が多かったので、中高生の頃にはかなりの数が集まっていて、なんとなく捨てることが出来ずに残していたが、大学進学で実家を離れた後、しばらくしてから捨ててしまった。

集めていた時もそれほど熱心にコレクションしていたわけではないし、そもそもマッチが箱いっぱいに詰まっているのはなんとなく危険な気もするのだけれど、ちっぽけで意味がない感じが気に入っていたのか、それなりに愛着を持っていたように思う。

 

当然だけれど、普通の感覚ではマッチが自分だとは思わないし、マッチを捨てたところで自分が損なわれるとも思わないだろう。僕の場合はマッチだったが、小さい頃にお気に入りのぬいぐるみやカバン、タオルなどがあって、それが無いと不安だったという人もいるかもしれない。

大人になって、お金や肩書きを失うと、自分が損なわれたように感じる人もいるかもしれない。もちろん、それらには実利があるということもあるかもしれないが、本質的にマッチやぬいぐるみと何が違うのかというと、そんなに簡単に決めきれないところがあると思う。敢えて捨てる必要はないし、大切にすることも大事だけれど、執着するのも少しおかしいという点は似ているのではないかなと感じる。