居場所

人がそこを「居場所」だと思うのは、どうしてだろう。なんとなく、居場所を求めている人はたくさんいるなと感じるのだけれど、どうあれば、そこが居場所だと思うのだろう。

「お友達」や「仲良し」という言葉を使う人の感覚も、僕にはよくわからない。そういう言葉は社交的な関係を指す場合に使われている気がするので、そういう意味合いの特殊な言葉なのかもしれない。本質的な関係性とは関係なく、同じ何かに所属しているというくらいの意味で使われているようにも感じる。

 

一度、見つけた居場所がずっと居場所であり続けるかというと、そうでもないように見える。ただ、それは本当は居場所ではなくて、仮宿なのかもしれない。厳密に居場所を求めると、寸分とずれないことが必要になって、それはあまり現実的ではないと感じるので、すべてを仮宿と考えるか、広がりのある範囲をおおよその居場所と考える方が現実的だろう。

居場所を「いてもよい場所(いなくてもよい場所)」と捉えるか、「いるべき場所(いなくてはいけない場所)」と捉えるかでも話が違ってくる。前者であれば、例えばお気に入りのカフェとか図書館とかも居場所になるだろう。一方、後者で考えると、それはもはや牢獄であるように感じる。

 

「お友達」や「仲良し」は、その言葉の意味とは裏腹に、打算的で牢獄的に僕には少し感じられてしまう。「あなたはここにいるべきだ」「お友達なのだから、あなたもここにいなくてはいけない」という命令、脅迫に聞こえるのかもしれない。

居場所は、求めると手に入らないと思う。居場所は無いくらいの方が生きやすいのかもしれないとも思う。なかなかそこまで思い切ることはできないけれど、今日いてもよい場所、今日いてくれる人があれば、それが幸せだと思えると良いなと思う。