飛躍

現実は飛躍しているが、人間というものはなかなか飛躍できないものだと思う。よくよく考えてみると、日々の変化というのは決して小さくなく、学ぶべきこともたくさんあるのだけれど、恒常性というのか、どうしても変わらずにぐるぐるしてしまう。

ホメオスタシスというとかっこよく聞こえるが、怠惰さだったり、自己防衛だったりが邪魔をして、違うことなのに同じように進めようとしてしまいがちだし、ちょっとした不安や恐怖から、気楽に踏み込むということを躊躇いがちだと思う。

 

もちろん、それは「自己」というシステムを維持するためにはとても重要だし、核とか軸とか、幹とか呼ばれるものはなくてはならない。型破りは良いが、形無しではいけない。

立ち戻れる場所というのも大切で、そういう「ホーム」を持っていないと、挑戦することは難しい。ホームにはいつでも戻れなければならないが、ホームに戻ることが目的になってしまうと本末転倒なので、ホームの持ち方というのにも工夫が必要だろう。

 

原子スペクトルにおける量子跳躍(quantum leap)であったり、第二世代システムで語られる非平衡開放系(散逸系)における秩序化、つまり自己組織化(self-organization)は、現実における飛躍の例である。後者はスチュアート・カウフマンによって、突然変異と環境淘汰による連続的な相互作用ではなく、自己組織化による飛躍が生物システムの起源であるという主張でも引用されている。

第二世代システムで(もちろん、第三世代システムとされるオートポイエーシスにおいても)いうまでもなく、自己の境界とは曖昧なものである。そして、自己組織化はある時に、何かしらの秩序が生じることで境界、すなわち秩序がそっくりメタモルフォーゼすることを示唆している。それは「自己」には滅多に発生しないことかもしれないけれど、そういう世界観に触れることで、どうしてもぐるぐるしてしまいがちな日々を楽しめると良いなと思う。