誰かにしかできないこと

能力から鑑みたときに、僕にしかできないことはない。「僕」に限らず、ほとんどの人間はそうだろうと思う。たいていのことは、(そのモノゴトに対して、一定の適切さを持つ範囲内であれば)誰にでもできるし、誰がやっても良い。

日々の生活でいうと、誰がやっても良いことを、自分がやることになる。その巡り合わせは、その場でしか起こらないような気がする。

 

巡り合わせを受け入れて、向き合い続けることが、生き方として尊いと思う。突き詰めると、すべてのことに意味はないし、代替可能ということになってしまう。突き詰めすぎると、きっと病気になるので、あんまり突き詰めすぎない方が良いのだと思う。

 

巡り合わせた先には、新たな巡り合わせが生じるのではないかと思う。天才には天才の、凡才には凡才の巡り合わせがあって、どちらがより尊いということではなく、それぞれがそれぞれの中に楽しさや難しさを発見することが尊い。

僕は、人生に意味を見出すことは極めて困難であると考える性質だが、巡り合うために生きている、というのはなんとなくそうなのだろうと思っている。


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