知らない範囲

数年前、人工知能というのか、機械学習というのか、ビックデータというのか、単なるコンピューティングというのか、そういうものが流行り始めた頃、プログラムにいろいろなことを考えさせることがブームになった。

その1つに、「コンピュータにレシピを考案させる」というものがあり、人間が試みたことがない食材の組み合わせで、料理を提案してくれるという話を聞いたような気がする。詳細なアルゴリズムや結果については調べていないので、なんとも言えないが、おそらく素材や組み合わせに関するなんらかの評価関数があり、機械学習で「美味しさ(という数値)」が高い料理を考えてくれるといった仕組みなのではないかと思う。

 

よくよく考えると、僕たちが試みているものの範囲はとても狭い。例えば、人は1年に1回くらいは少なくともなんらかの判断をしているだろうと思う。友達や恋人でも良いし、何を勉強するか、何を食べるか、どこに旅行に行くか。なんでも良いが、1年に1回どころではなく、分岐があるだろうと思う。

仮に1年に1回だったとして、まともに判断する回数を50回、つまり、50年くらいだとすると、2^50でおおよそ10^15(1000兆)くらいの可能性が存在する。

 

人類の歴史が1万年(10^4)で、100年間の間に生きている人口が100億人(10^10)くらいだとすると、10^12通りの生き方は試されていることになる。世界人口がずっと100億人の規模であったとは思えないので、 実際はもう少し少ないだろうと思うが、10^15の可能性に対して、試みられているのが10^12だとすると、僕たちは人生の可能性の0.1%くらいしか現実としては検討していないことになる。

当たり前と言えば、当たり前なのだが、人間というのはかなり狭い思考しか持っていないし、なるべく間違えないように選択を繰り返して、全体の可能性の極めて閉じた領域で生きていこうとする生き物なのかもしれないと感じる。

 

知らない範囲は大きい。かなり強い秩序の中で、人間は生きている感じがする。

知らない範囲が大きいということがどういう意味を持っているのか、という問題もとても興味深いと思う。