仏陀の精神、この仏教の真髄を成すものはなんであるかというと、「般若(プラジュニャ)」と「大悲(カルーナ)」である、と鈴木大拙は『禅と日本文化』の中で説明している。
その本質を捉えることは困難であるという前提の下で、ものすごくシンプルに言うと、「智慧」と「愛」。それが、仏陀の精神ということになる。
無明と業によって、「智慧」は厚く、重く覆われている。言葉によって、惑わされている。それが人間だろうと思う。
根本的な意義を洞察していくことに、修養がある。「智慧」を得ることで、「愛」が自在に働くことができる。智慧は愛に至る。
なんとなくわかるが、あまりよくわからない。けれども、そういうものがあるのだろうということを、なんとなく感じる。
問題と論理、欲望と言葉の世界の中で、そういう何かを実践し続けようとすることに、個人的な探究を持ちたいと思う。