意味を問うこと

言語化する必要があるかどうかは別にして、自身が取り組んでいることの意味を深く認識することは大切だと思う。かつ、なるべくなら、それが純粋なもので、その純粋さに生命や精神を沈めていけると良いなと思う。

 

『韓非子』の冒頭は、「説難篇」から始まる。政治の在り方を説明する前に、主君に対して、誤解されずに説くという行為がいかに難しいかということが説かれる。

小林秀雄は処女作である『様々なる意匠』において、評論・批評という行為の意味を最初に論じている。佐賀鍋島藩の武士道論、『葉隠』では、「諍いを避けるために、この書物は燃やしてしまうように」という但し書きが冒頭に記されている。

 

意味がないかもしれないことを、純粋な魂で深めていこうとすることが尊いと思う。そのような取り組みによって、その人なりの芯が通ってくるし、その頑なさが寛容さを生むのだと思う。

深い優しさは、真の頑なさから発するのではないだろうかと思っている。もちろん、やってみないとわからないが、そうあれると良いなと思う。