社会的参照

最近知り合った方が発達心理学を専攻しており、乳幼児の「社会的参照」をテーマとしているそうで、少し話を聞いた。社会的参照というのは、二者間(例えば、「母親と子ども」など)ではなく、三者間(例えば、「母親と子どもと、母親の友人」など)で働く、情報参照と行動調整の一連のプロセスのことをいうことらしい。

正確に理解できているかはわからないが、直感的には、「母親の顔色をうかがって、母親に対する態度を調整する」のは二者間の行動調整で、「母親の友人が遊びに来たときに、母親の顔色をうかがって、その友人に対する態度を調整する」という三者間の行動調整が「社会的参照」である。それなりに社会的な機能だと感じるが、おおよそ1歳くらいから観察されるらしい。

 

まあ、「顔色をうかがう」「雰囲気を読む」と言えば簡単だが、おもしろいなと思ったのは、「情報参照」と「行動調整」のそれぞれのプロセスを詳細に理解していく必要があるという点である。

行動調整は実際に行動として観察されるので、「行動調整が起こった」ことは確認しやすいが、それが実際にどのような情報を参照して起こったのかという点は、特に言語で思考を確認できない乳幼児についてはまだまだわかっていないらしい。母親と父親がいる時に、なんとなく母親の方を参照しそうな気がするが、本当に父親を参照する割合が低いのか。参照する相手は、どのように決まるのか。なんとなく表情を参照している感じがするが(「顔色をうかがう」という表現もこの感覚を反映しているのではないかと思う)、実際に何を参照しているのか。

 

乳幼児が人の顔を認識する際に、画像加工によって完全に左右対称にした写真を見せた場合、そのような加工をしていない写真を見せた場合に比べて「顔として認識する割合が低い」という話も聞いた。これもなんとなく、そんな気がする。

実際にやってみるとわかるが、人間の顔は左右反転させると違和感がある。よくよく見てみると、人間の顔というのは左右は非対称で、ちょっとずれている。局所的な対称性をはらみつつ、全体としては非対称で、どこか荒っぽい。それが「生き物らしさ」を構成していたりするのかもしれない。

 

僕たちが、何に対して、何を参照して、どう判断をして、どう振舞っているのかというのは、案外わからないよなと思う。