乖離

月並みな話なのだけれども、不意にとても寂しくなったり、孤独を感じるということがある。

もともと人間は孤独なのだと思っていることもあり、その感情は戸惑いとともに訪れる。誰でもそうなのかはわからないが、少なくとも僕の場合は、「孤独」をわざわざ意識してしまうということに戸惑いがあるのだと思う。

 

人間が寂しさを感じることは、ヒトの種として生き残っていくための戦略が「集団」にあるであろうことを考えると、重要な機能だと思う。

寂しさを感じなくなったら、そして、なお生きていこうと思うのであれば、「集団」でいることとは異なる強さを持たなくてはならないような気がする。逆にいうと、「集団」でいること(それも、かなり大きな集団を形成すること)は、かなり特殊な強さだろうと思う。

 

クロード・レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』に、「世界は人間なしで始まったし、人間なしに終わるだろう」という有名な一節がある。もちろん、レヴィ=ストロースの思想を深く理解しているわけではないが、なんとなく、そういう気がする。

「世界それ自体」と、「人間によって構成された世界」には乖離がある。「世界それ自体」に純粋に向き合っているときは、孤独であることがあまりにも当然なのだから、孤独に戸惑うということはない。むしろ孤独は心地よい感情であるように思う。ただ海を眺めているときのような感情が、個人的にはそれに当たる。

 

「人間によって構成された世界」は、生きていくために作られた道具なのだが、やはり世界であるから、「世界それ自体」と混ざっている。そのあたりに、寂しさや孤独に戸惑うという感情があるのではないかと思う。