個人の責任でミスが発生すると思うほど、僕は人間というものを信頼していない。ミスが発生するのは、ミスを引き起こす要素があるからであり、それが完全に個人に帰属するということはありえないだろうと思う。
ミスはミスが起こる構造の中で起こるものであり、その能力の人物がその場所にいるという点も含めて、構造に依存するものである。
もしミスを避けたいと思うのであれば、誤解を発生させる状況、誤操作を許すシステムを改善しなくてはならないと思う。
アサインされた人物の能力の適性が低いというケースも当然あるが、人材配置の変更は人間にとって負荷の高い操作になりがちなので、どちらかというと認知やシステムによって改善した方が良いのではないかと思っている。
人間には相性があるので、配置の問題に帰結することもあるし、それも必要な操作ではあるが、それ以外の比較的に変更が容易な要素の改善を徹底して試みた上で取り組むのが良いのではないかと思っている。
なぜなら、その試みで何をどこまで緩和できるのかのインプットを得ることが、その後の設計にとっては重要な示唆になるはずであろうから。完璧な人材を獲得できるケースは、それほど多くはない。むしろ、稀だろうと思う。
大いなる無能や極悪というものを蔵する人間はむしろ偉大で、滅多にはいないと思う。小人だからこそ、人は他人に「無能」というレッテルを貼りたがる。
人間の可能性を信じているからではなく、むしろ信じていないから、「無能」な人間はそうはいないのだろうと僕は感じているのだと思う。