知りたい気持ち

ものすごく幸運なことなのだと思うが、生きることには疑問を感じても、学ぶことにはあまり疑問を感じたことが無いように思う。もちろん、下らなさを感じることが無いわけではないが、「1+1=2」ということですら難しいのだから、どんな事象にも深遠さがあるのだろうと思うようにしている。

 

僕は、世の中のほとんどのことを知らない。知らなくても利用できるのだから、なんとも楽観的だと思うのだが、すべてを知らないと利用できないとなるとほとんど生きていくことはできないだろう。

そもそも、僕はなぜ生きているのかを知らないし、もっと身近な例で言うと、LEDの電灯が色温度や光量を自在に操作して利用できるのはとても便利だと思うが、理屈はよくわからない。

 

僕が感じていることは、ほとんど何の意味もないのだけれど、僕は僕が感じていることしか感じられないし、僕が感じていることに対して、興味を持って思考をする。

人間が生きる方法は、これくらいしか無いのではないかと思う。考えるために、他人が考えていることを学ぶこともある。他人が考えていることに対して、何かを感じることもある。

 

知りたい気持ちは、素朴であったり、朴訥であったりするのではないかと思う。人と生きていると案外に難しいのだが、1人になると、ただ知りたいだけだなと思ったりできるので、僕はたまに、ちゃんと1人になりたいのだと思う。

どこに行っても人がいるので、なかなかに難しくはあるが、ちゃんと1人になることは、僕にとってはそれなりに大切なことなのだろうと思う。