差異と認識

人間は、というより人間の脳は差異・差分によって物事を認識しているという。「一点を見つめる」という表現はあるが、完全に眼球運動を止めた状態で、周囲の環境の光も変化しない場合は、徐々に脳は像を結べなくなり、真っ暗になる(そう認識する)らしい。

実際にやったことはないので、本当かどうかはわからないが、なんとなくそんな気がする。

 

人間が何かに取り組み続けるためには、この「差異」が大切だと思う。一方で、何かに取り組み続けるには安定した状態が必要である。身体的、精神的、もしくは金銭的などの理由で不安定すぎると、その状態は長くは続かない。

人生に飽く、というのは、当たり前(不安定すぎない環境)の中に何かを見出すことができなくなることではないかと思う。生理として眼球が運動を止めることはないのだろうが、心がそういう作用を失い始めると「飽く」のではないかと思う。

 

意図して変化を求めていく、というのもあるにはある。いろいろなコミュニティに参加したり、就職・転職や結婚・出産、ときには自暴自棄。ただ、そういったものに本質を求めていくのは、僕にとっては少し違うように感じる。

人間が離れることができないものは自己であると思う。自己に対する発見をし続けていけるのかは、少なくとも大切な問いの1つなのではないかと思う。