権力

権力は、それを行使する者にとって毒性を有する。これは歴史の常識であると、London School of Economics and Political Scienceで政治科学部長を務めたラスキは『カール・マルクス』において指摘している。

It is a commonplace of history that power is poisonous to those who exercise it; there is no reason to assume that the Marxian dictator will in this respect be different from other men.
(“Karl Marx”, Harold J. Laski, 1921)

 

権力は「暴力」と混同されやすいが、システム機能として権力の純粋な性質を検討することは重要だと思う。権力はときに暴力的だが、暴力ではない。むしろ、権力を行使できないから暴力を用いると見た方が自然だと感じる。

権力は「いつでもあらゆる箇所において行使しうるもの」ではないというヴァレリーの指摘は、本質的だと思う。「もしある権力が常に、また任意の時機に、その勢力範囲のあらゆる箇所においてその実力を発揮することを要せられたならば、その各箇所における実力は零に近い」。

 

権力を行使できる時機、および箇所は実は非常に限定されている。権力を「預金」みたいなものだと考えると、その残高は潤沢ではないのだろう。

権力においては、行使できる/すべき時機と箇所を見定めることが肝要であると思う。すべきでない時機・箇所に行使すると、いとも簡単に破産に追い込まれかねない。