指摘

自己満足に過ぎないのだけれど、自分がなぜ、どういう想いで、どういう思考で、どういう行動を取っているのかについて、自分なりに捉えておくことは大切だと思う。

他人は自分ではないので、自分の行動の原理や内容はわからない。わからないからなのかはわからないのだが、自分の行動に対して「間違っている」という指摘は日常的に受けるものだと思う。

 

間違いを指摘すると、それ自体が「間違っている」と指摘される可能性がある。間違いを指摘する人は、多くの場合、間違いを指摘されるのが怖いから間違いを指摘しているので、「自分が間違っている」という状況を避けるために「みんなが言っている」という表現を好む傾向がある。

まったく不便なものだが、間違いを指摘されると、人間は反射的に動転してしまう。「みんなが言っている」と言われると、みんなが敵のように見えてくる。仕組みがわかればなんということはないのだが、陥りがちな罠だと思う。

 

正直なところ、他人が僕のことを「間違っている」と思うかどうかについて、僕はあまり興味がない。僕は僕でしかないので、出来る範囲で、想うようにやるしかない。僕は僕のことを正しいとは思っていないけれど、仕方がない。

僕は間違いを指摘されること、その指摘によって自分の感情や思考、行動を捉え直して、修正できるところがあれば修正する、ということが嫌いではない。そもそも、興味がない他人からの指摘をすべて聞く理由もないので、自分の感情・思考・行動へのインプットとして捉えて、適切な範囲で処理するのが良いのかなと思っている。