簡単に言えば、「慣れ」ということなのだろうと思うが、人間の身体であったり、思考であったりは環境に適応して硬直しやすいものだと思う。
神経回路に限らず、物事はエネルギーがもっとも低い状態で平衡しようとする傾向があるので、「硬直」はとても合理的で、いちいち余計な処理をせずに物事を進めるという観点で必要な反応だろうと思う。特定の回路以外に信号が漏れ出さない方が話が早い。
ただ、いざ変化が必要となると、「硬直」の性質を知っていないと困惑しやすい。人間はほとんど何も意識せずに日々を生きている。例えば、雑音であったり、ちょっとした床の段差であったりは、慣れてしまうと処理から落としたり、わざわざ外的環境から情報を得ずに乗り越えたりしているのだと思う。
旅行先であったり、自らの意志で行う引越しであれば、意識的に変化を処理するが、オフィス移転などで引越し後に戸惑いが発生しやすいのは、「慣れ」に依る面も一定あるのだろうと思う。
親離れ・子離れ、友人や恋人との別れについても同様で、意識としてはもう割り切っていても、(例えば、特定のシナプス周辺の絶縁体が発達しているといったように)身体・神経の反応は物理的に制御されているので、悲しかったり、寂しかったりする。
身体にせよ、神経にせよ、硬直性や可塑性というのは病のような側面もある。時間が癒してくれる、というのは言い得て妙だと思う。