平坦な世界ではどこにでも行ける。どの方向にも特別な意味がない。途方に暮れると見ることもできるし、自由であると見ることもできる。
世界は、平坦で滑らかになりつつあるように思う。自分においてのみ、かろうじて、自分が「特別」である可能性は残っているかもしれないけれど、世界において「特別」であったり、「代替不可能」であることは望みようがないと感じる。
“How McKinsey Destroyed the Middle Class“に、管理の精度が高まることで中間管理職、結果として中産階級がいなくなるという議論があり、興味深いと感じた。
さらに「The gig economy is just a high-tech generalization of the sub-contractor model」という。UberやDiDiのドライバーは、優れた高級ドライバーになることはあっても、ドライバー以上には絶対にならない。Amazonの配送業者は、永遠に配送をし続ける。連続的な中間が存在しない、究極的な下請けモデルだからである。
たぶん、人は計画と管理を求めてきた。同時に、平坦さは1つの夢だったのだろう。そして、計画的な資本主義は、結果として社会主義に似た平坦な社会を実現しているように思う。
別にポジティブでも、ネガティブでもないし、おそらくは適度に競争があり、適度に平等な、好ましい社会であるようにも感じる。もう、戻ることもないとも思うので、その平坦さを見つめていかないといけないなと思う。