印象

2年くらい前に上野の東京都美術館で「コートールド美術館展」という展覧会が開催されていて、本当に偶然に訪問した。「魅惑の印象派」という副題がついていて、モネやセザンヌ、ドガ、ルノワール、マネなどの有名な絵画を一気に見ることができる、とても良い企画だった。

前提として、僕はまったく美術に詳しくなくて、「印象派」というものがモネの『印象・日の出(Impression, soleil levant)』を起点としていること、それらが近代・現代の美術の出発点であることなども知らずにぼんやりと眺めていたのだけれど、「印象派というのは、印象を描くということなのだな」という感想を抱いた記憶がある。人間の認識であったり、それこそ印象であったりに関心を持っていた時期でもあったので、感じるところがあって、記憶にも刻まれているのだろう。

 

なぜ、「コートールド美術館展」について思い出したかというと、エリック・カンデルの『なぜ脳はアートがわかるのか 』を読んでいたからである。この本には「現代美術史から学ぶ脳神経科学入門」という副題がついていて、現代美術の還元主義的な試みと、脳における情報処理を還元主義的に解明しようとする脳神経科学が、対比されながら語られていく。

印象派というのは、細部の輪郭ではなく、全体の印象で対象を捉えることを特徴としていて、絵筆に自由に絵の具をのせて描くらしい。人間が何を見ているのか、という問いに対して、その要素に迫ろうとした新たな挑戦だと思う。この問題を提起したこと自体がきわめて重要で、問いに気付いたことでフォービズムやキュビズム、モンドリアンのような現代芸術に繋がっていく。モンドリアンの『ブロードウェイ・ブギウギ』(Broadway Boogie Woogie)はたしかにブロードウェイ・ブギウギで、人の認識の不思議さを感じる。

 

一方で、印象というものは一度持ってしまうと、なかなか逃れづらいもので、その点は注意が必要だと思う。印象はとても大切だけれど、自分の印象は常に疑わなくてはならない。僕自身、つい印象で思考や行動をしてしまいがちで、それは必ずしも悪いことではないのだけれど、戒めなくてはいけないことも多いなと思う。