純心

純粋とか純心とかというと、なんとなくポジティブなもの、たとえば好奇心や志であったり、尊敬や愛情であったりをイメージしやすいと思う。

もちろん、理想は人の心の透明度を高くし、ピュアにするものの1つだけれど、理想に心身を没頭させ続けるというのは普通の人には難しいとも思う。多くの場合、人の心をピュアにしているものはむしろ劣等感や悲しみ、恨み、憎しみなのではないかと思う。

 

「臥薪嘗胆」という言葉があって、屈辱を忘れずに努力し、復習を果たすという紀元前の呉越戦争を基にした古事成語だが、呉王夫差も越王勾践も、ともに復習を果たした後は讒言を信じるようになり、忠臣を殺したり、追放したりするようになって、国を亡してしまう。英雄の心をはかることはできないけれど、彼らの心は恨みによって純化し、恨みを失ったことでその透明さは失われてしまったのではないかとも思う。

敵に対しては心を1つにできるが、敵がいなければ手を取り合うことは難しいというのもある。そういう形でしか結束できないということは、少し誤れば、互いに疑心を抱きやすいということもあるのかもしれないし、戦いという興奮は敵味方を問わず、反応してしまうものなのかもしれない。人間の脳では闘争ニューロンと生殖ニューロンは隣り合っていて、かつ、20%程度は重なっているという研究もある。

 

いずれにしても、なるべくシンプルに生きるということが大切だと思う。人間というのは自分の思考に囚われる生き物、自分の考えに飲み込まれる生き物である。理想であれ憎しみであれ、要は思考をシンプルにするから心を純粋にするのだと思う。