トラウマ

僕はわりと意識的に、「できるはず、かならずできる」と思うようにしている。万が一、できなかったとしたら、それは僕には向いていないし、心を病ませるようなことはいずれにしてもやらない方が良いだろうとも思うので、反省しつつも少しずつ距離を取ろうとする。

僕の心は少なくとも他の誰かのものではないだろうし、それを惜しむのも僕くらいだろうと思うので、僕くらいは僕の心を大切にしたいと思う。できることなら、なるべくサスティナブルな環境で生きていきたいというのもある。

 

先日、ある興味深い話をお聞きした。その方は若い頃に仕事で、その時点での経験や能力では処理しきれないようなクライアント向けのレポートを、明日までに1人でやらざるを得なくなったという。プロジェクトリソースは逼迫して、上司や先輩も手を貸す余裕がなく、結局そのレポートは完成しないままで本番を迎えてしまったそうだ。

それから、その方は「仕事を間に合わせること」ができなくなったという。「どうやっていいのかわからなくて、時間もない」という状況になった時に、混乱が先に来て、手が進まなくなるのだという。その話をお聞きして、これは能力の問題ではなく、トラウマの問題だなと思った。

 

僕は恵まれていることに、「できるはず、かならずできる」「できることしかできないので、できるところまではやってみよう」と今のところは思うことができる。考えればやり方が少しずつ見えてくるはずで、時間内でどこまでの品質が出せるかはわからないけれど、(怠惰な性格は反省すべきところが多いけれど…)できることをできるだけやろうと思うことができる。それは途方に暮れた時に助けてくれた友人や先輩、先生のおかげだと思う。

ただ、いつできなくなるかはわからないとも思う。だから、もっと考えるということを深く知らなければならないと思う。