何者か

生きていると、「あなたは何者か」という問いをしばしば突きつけられる。他人はもちろん、自分自身が問いかけてくることもある。

僕にとって自己紹介はかなり難しい部類の行為で、何を言っても嘘だと感じるし、相手に何かを伝える必要なんてあるのだろうかという想いがすぐによぎってしまうので、態度もしらじらしくなってしまう。

 

僕は、何者かになりたいと思っていないのかもしれないということを思う。ただ、何者かでないと不便だということも同時に思うし、何者かであった方が楽そうだということも思う。

年齢や居住地、家族構成などはとりあえずは事実らしい情報なので説明可能だけれど、あまりに意味が広すぎるように思うし、何が得意とか不得意とかは、あまりに主観的で確信が持てない。何が好きで、何が嫌いということはまだ真実に近い感じがするけれど、それは僕にとってしか意味がないように思える。

 

ただ、普段はこの問題は僕の内面においてはそれほど問題にならない。たぶん、自分が何者であるかという問いに対しての関心が薄いのだろうと思う。僕にとっては、僕は僕で良いし、そうでしかあれない。問題になるのは、他人が(おそらく大して関心もないし、理解するつもりでないにも関わらず)「何者なのか」を問うてくることだと思う。

人は、その人が何者を名乗っているか、ということにしか関心がないとすら思える。そして、そういう妄想をするにつけて自分は社会に対して適合的でない、もしくは社会は僕にとって適合的でないということを思う。