愛憎

恋人であったり、同僚であったり、そういったパートナーとの関係性を考えたときに、相手に暴力的な振る舞いをしてしまうという例はそれなりにあると思う。

DVやハラスメントというところまではいかなくても、信頼を築きたいのか、支配をしたいのか、良くわからないような態度というのは日常的に見かけるように思うし、僕自身、気を付けなくてはいけないと感じることは多い。

 

「沖沖士の哲学者」とも言われるエリック・ホッファーの言葉に、

われわれはある人の愛情を獲得したときよりも、その人の精神を打ち砕いたときに権力意識を強く感じる。ある日、愛情を手にしたとしても、それは翌日には失われるかもしれない。しかし、誇り高い精神を打ち砕くとき、我々は最終的かつ絶対的なことを成し遂げたことになる。

というのがある。ずっと在り続けるより、破滅の方がずっと楽そうに思えるということだろう。その善悪は時々ではあるが、在り続けることの尊さより、失うことの甘美さを僕たちは選んでしまうことがある。

 

今を大切にするためには、明日を信じる力が必要だと思う。明日への期待を持たずに、只今を生きられるとすれば、それは悟りの境地で、もちろん理想はそこにあるけれど、少なくとも僕にとってはまだまだ修養が必要だろう。

愛とは明日への信頼であり、憎しみとは明日への絶望なのかもしれない。本質的にはどちらも盲信ではあるけれど、とりあえず日々を生きるには愛を大切にできた方が良いのかなと思う。