断罪

「断罪」とは、罪があることではなく、罪があると決めること、処刑を行うことである。そして、世の中にあるもののほとんどは、罪ではなく断罪だ、と思う。

不安な人ほど、断罪をする。断罪は不安による支配のためのテクニックでもある。不安な人が、不安を利用して、人を支配する。

 

僕自身も、断罪する誘惑に囚われそうになることがある。断罪されることの不安や恐怖に囚われそうになることがある。しかし、断罪とは罪ではなく、誰かがその人自身のために押し付けてくる決めつけに過ぎない。そんな人とはいたくないし、僕自身の判断への評価を不要にぶらしたくはないと思う。

完璧な人、完璧な事象というのはそうは無いと思うので、評価の構造の中には必ず断罪がある。断罪という言葉が強過ぎれば、意味づけとか、価値づけという言葉もあるかもしれないけれど、本質的にはそこまで変わらないように思う。もちろん、バランス感覚は大切だけれど、究極において判断を何かに委ねる危うさが、そこにはあると思う。

 

そんなことを僕が考えるのも、そういう行為に囚われる危うさが僕の中にあるからだと思うし、逃れたいと思っている内は逃れられないものだろう。常に価値判断は必要なのだから、合理的に考えるのが大人だという話もあると思う。

そういう意味では合理的な範囲内で合理的に断罪する分には、それほど嫌悪を抱かない。合理的な断罪というものは、広く合理的な目的のための手段であるべきだと思う。非合理に思える目的に、さも合理的な断罪を用いることを避けたいということかもしれない。