襖絵、というのは一種のVR(Virtual Reality、仮想現実)である、という体験をした。あるお寺で、非常に優れた襖絵の部屋を見せていただいたのだが、襖絵を描く絵師の方というのは描くにあたって、その部屋に何年も滞在してから初めて描き出すという。その場所の風光や息遣いのようなものを理解した上で、その空間に別の世界を描く。そういう行為なのかなと想像した。
襖絵で彩られた部屋というのは、基本的には薄暗い。そこに、蝋燭のあかりを灯して、絵を鑑賞する。そうすると、ゆらめく炎で、別の世界が浮かび上がる。街中に、突如として山河や龍虎が現れる。それは、VRに似ていると思う。
日本庭園は、AR(Augmented Reality、拡張現実)に似ている。単に美しい庭ということではなく、日常のすぐ隣に、ごく自然に仙界のようなものが置かれる。
枯山水になると散策をすることはないけれど、隣接しながら境界によって区切られた桃源郷という感じがして、現実の拡張を感じる。水を使わずに流れを表現するという考え方も、ARマーカーのようだと感じる。
現実というのは、常に人間の中にあるものだと思う。VRやARは、人間の中にある現実を引き出す機構のようなものなのかもしれない。僕らはなんとなく、現実と空想は異なるものだと思っている気がするけれど、その境界は思っている以上に溶けているのかもしれないと思う。