喪失感

「なくてはならないもの」というものは、世の中には無いと思っているけれど、愛着であったり、執着であったりといったものはあると思っている。

あるときには気付かないけれど、無くなったときにその存在を感じるものは、愛着もしくは執着のあるものだと思う。そこには「あるはずのものがない」という喪失感がある。

 

無くなったわけではないけれど、数ヶ月前に腕時計をメンテナンスに出した。オーバーホールに2-3ヶ月かかるということで、もうすぐ返ってくるだろうと期待している。

その時計が気に入っていた、大切なものであるということもあるし、僕がわりと時間を気にしてしまう性格であるということもあって、なんとなく寂しい。つけている時には、愛着をほとんど意識したことがなくて、正直、こんなに寂しいと思っていなかったので驚いた。これが「喪失感」というものなのかなと感じた。

 

それがあるときに、愛着や執着を感じるものもある。しかし、愛着や執着を感じるということは、それらはすでに失われ始めているということで、愛着や執着があるものが無くなってしまった時は、喪失感は小さくて、つらさが強いように感じる。

「それが無くなることはわかっていたのだ」という理性が働くのだと思う。すでに喪失していたものが無くなっただけなので、喪失感は理性によってかき消されるが、つらさは感情なのであまり押さえられない。

 

あってもなくても変わらない、と思っているものほど、実際に無くなった時の喪失感は強いように感じる。失いたくないという愛着や執着を持っているものは、持っている時の方がむしろ喪失していく感覚を覚えて、無くなるとつらい。

本当に愛着があるものというのは、どちらなのだろう、なんてことを思う。

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