臆病

何かをしようとすると、間違えそうだと思う。正解を知っているわけではないのだから、間違っているのかどうか、なんてことはわからないのだが、性格の問題なのかもしれない。

もしかしたら、何かをしたときに、「きっと正解だ」と思える人もいるのかもしれなくて、それはそれですごいことだと思う。もちろん、それはきっと間違っているのだから、より良い活動のために最適なのかはわからないけれど…。

 

間違えないということを重要視し始めると、間違えない問題定義をすることになる。僕は、それについては無意味だと思っているし、間違えない問題定義をすること自体はそれほど難しくないと思っているので、あまり興味を抱かないのだが、「きっと間違っている」という感覚の中で何かに取り組み続けるのは、それなりに胆力の要ることだと思う。

 

人間の仕組みからして、脳内に「出来る状態」の回路がない状態では参照できる情報がないのだから、出来る/出来ないの判断はつかない。どうすれば出来るのかという問いに答えることも出来ない。

だからやってみるしかないし、正しいとか、間違っているとかではなく、やってみたいかどうか、やってみて楽しむだけの余裕を持てるかどうか、ということを考えた方が良いのだと思う。

 

「間違ってもいい」と思えるほど、器量が大きくないのは、人としては少し残念…なのだが、適当に真剣に取り組んで、他人を恨まない程度の楽観さで以って、物事に取り組めると良いなと思う。

基本的には、他人からはバカだとか、愚かだとか、くだらないとかと思われていた方が良い。そうでないと、物事に取り組むのは、というか、日々を生きていくのはとても困難になってしまう。

 

僕は臆病だけれど、生きるという行為は多少なりとも楽しめると良いなと思っている。