思考とデザイン

思考という行為は現実を超えるところに価値がある。頭の中(というのは比喩的な表現だが)にあるものは、いわゆる論理的と呼ばれるものであっても、空想・妄想と呼ばれるものであっても、想像の産物である。

思考は想像であることに意味があり、その論理性や空想性を想像の中で突き詰めることに意味があると思う。現実的な思考をしている時であっても、それは「現実的」というものを想像しているに過ぎない。

 

一方で、デザインという行為は現実であるところに価値があると思う。実際に形を獲得し、私たちが現実と呼んでいるものの中に出現して初めて、それはデザインされたと言える。

デザインには形がある。そして、その形は現実の中で存在できなければならない。もちろん、「デザインすることを想像する」という思考はあるが、デザインそれ自体は現実を突き詰めることに意味があると思う。

 

純粋な思考というものは、様々な思考フレームワーク(ロジカルシンキングや経済理論など)を適用することで可能だが、それ自体に意味は付与しづらいと思う。目的(デザインされるもの)があって、思考という行為に生命が吹き込まれる。

純粋なデザインというものも同様に、様々なデザイン方法論(カラーパレットやフォントなど)を適用することで可能だが、人間の想像を伴わないそれに活き活きとしたデザイン性を見い出すことは困難だと思う。

 

好ましい活動というのは、想像を現実に出現させる行為だと思う。何を想像しているかを認識し、その想像を突き詰め、現実の中で形を模索する。その活動の全体がどういう意味を持つのかはわからないが、各々の活動に意味が吹き込まれていくと良いなと思う。

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