世の中に、たぶん真実は無い。あるとすれば、それは自身の中に、だと思う。要するに、信じるか、信じないかということだと思う。
他者を信じない人間は、他者から信じられることも難しいと思う。他者と関係性を構築するために大切なことはいろいろあるとは思うけれど、少なくとも、「思いやりを持つこと」と「認めること、信じること」は重要だと思う。
他者を疑う人間というのは、自分に対して疑念があるように思う。自分を信じることができないから、他人も疑ってしまう。自分を信じていないから、常に自己を利すことを考えてしまう。
嘘を吐いて、自己を利す人間は、多くの場合は「私心」を持っていると思われてしまう。私心を感じると、ますます他者からは信じてもらえなくなる。
物事を小さく捉えると、思いやりを持つこと、他者を信じることは難しくなるように感じる。自然においては「天」、集団においては「公」を見据えることで、1つひとつの事象や人物に拘泥せずに済むのではないかと思う。
興味深いのだが、「みんなのためにやっている」と主張する人は、「私心」を持っていると捉えられやすい。おそらくは、個々の要求を潰すために「みんなのため」という論理を振りかざすからだろう。天や公を利すことと、個々の事象や人物を利すことが矛盾しないような生き方をして初めて、器が大きいと言えるのではないかなと思う。