苦痛を愛そうとする気持ちは、生を愛していることをごまかさそうという気持ちだと思う。
生きていると苦しいことがある。生と苦痛は切っても切れない。ニーチェ等に顕著だが、苦痛を愛している人は、おそらくかなり自分を愛していると思う。希望と絶望が揺らぐから、生きることができるし、死ぬこともできる。
苦痛を愛することも生を愛することも、本質的には同じなのであれば、素直に生を愛せた方が幸せなのではないだろうかと感じる。苦痛の中には取り払うことができるものもあるので、そういった苦痛はなるべく取り払うと、なお良いと思う。
人類は飢えであったり、病であったり、暑さ/寒さといったりをやわらげてきたし、いろいろなものを便利にしてきたと思う。同じように、気分が悪い人との関わりはなるべく少なくした方が良いし、自分を害する情報とは距離を取る方が好ましいと思う。
もちろん、できないこともあるし、苦痛を愛することの甘美さにも効用はあると思う。それがどうしてかはうまく言葉にできないけれど、素直に、シンプルに生を愛することは、想像している以上に難しいという問題もある。
苦痛を愛するにしても、生を愛するにしても、大切なことはなるべく自分をごまかなさい、ということではないかと思う。もしかしたら、「愛する」ということが難しいのかもしれない。