自然犯

自然に、という表現が難しいが、自然にそれは良くないと感じる犯罪は自然犯と分類される。殺人や窃盗、放火などがこれに当たるとされる。わかりやすく他人の生命や物品を損なうということかもしれない。

自然犯でない犯罪は、法定犯とされる。法が定めた犯罪という意味だが、法にもいくつかの種類がある。規範は法だが、規範を破ることが犯罪かどうかは、その時々の判断にも依るだろう。法と罰は関連は深いが、同じものではない。法も罰も、明文化されていないケースも多く、むしろ、すべてを明文化することは不可能だろう。

 

法整備という観点では自然犯と法定犯という分類は分かりやすいが、現実に適用すると難しいところが出てくる。例えば、嘘をつくことは自然犯ではないだろうが、嘘をついて何かを騙し取ると窃盗になって、自然犯だろう。嘘をつかれて傷ついた、というのは場合によっては法定犯で、慰謝料といったものが払われるケースもある。

殺人は自然犯のように感じるが、戦争という法の下では多くの人を殺すことが勲章になることもある。犯罪に限らず、欧米では「すべては交渉次第」で、米国企業がロビー活動をするのは当然のことだし、無罪判決の割合も日本よりずっと高い。

 

チームラボの猪子さんがピカソについて、「物事っていうのは一点から見るのではなくて、多様な視点で見たほうが美しいんだよって拡張してくれた」と表現していて、なるほどなと感じた。自然犯という概念自体が法定的で、自然はもっとごちゃごちゃしていて、そのままで美しいと考えることもできる。

美しい、という話を始めると、それ自体が視点を縛っていく。そのままが良いのだ、ということに拘り始めると、それは不自然なことになってしまう。自然である、とはとても難しいことだなと思う。