袂別

袂(たもと)を分かつ、もしくは袂別(べいべつ)という表現がある。 論語の子罕第九に、共に学ぶことはできても、共に歩いていくことができるとは限らないという。さらに、共に歩けたとしても、共にひとところに立てるとは限らない。共...

差異と認識

人間は、というより人間の脳は差異・差分によって物事を認識しているという。「一点を見つめる」という表現はあるが、完全に眼球運動を止めた状態で、周囲の環境の光も変化しない場合は、徐々に脳は像を結べなくなり、真っ暗になる(そう...

問題解決、あるいは対話の可能性

そもそも、問題解決は可能な行為なのか。これは重要な問いなのではないかと思う。   質問をして、あるいは質問をされて、答えるという行為を考えてみた時に、質問に対して答えているという対話を見ることは案外に少ない。質...

環境

人にせよ、組織にせよ、内的に変化することは困難で、基本的には環境によって変わるものだと思う。同時に、変化というのは基本的には不快なので、変化それ自身に目を向けると反応を誤りやすいと感じる。   一義的には「変化...

サイバネティクス

情報化、デジタル化と言われて久しいが、20世紀の中葉に情報・通信の理論化が始まった時点で、それが極限まで突き詰められていくことは予感されていたとも言える。 理論を推し進めることは、近代、そして科学の宿命だと思う。 &nb...

回路

簡単に言えば、「慣れ」ということなのだろうと思うが、人間の身体であったり、思考であったりは環境に適応して硬直しやすいものだと思う。 神経回路に限らず、物事はエネルギーがもっとも低い状態で平衡しようとする傾向があるので、「...

在り方としての技術

現代技術のうちに存する開蔵は一種の挑発[Herausfordern]である。この挑発は、エネルギーを、つまりエネルギーそのものとして掘り出されうるようなものを引き渡せという要求[Ansinnen(無理難題)]を自然にせま...

都市計画への関心

「ニューヨークの摩天楼は小さすぎる。十分な大きさではない(とはじめて見たル・コルビュジエ氏は語る)。大きく、そしてもっと間をあけなければならない」。(『伽藍が白かったとき』より) (磯崎新 「ル・コルビュジエに関する七つ...

麻痺と調和

人間に限らず、あらゆる動物がそうなのかもしれないが、少なくとも人間は麻痺していないと、とても生きていられないと思う。 麻痺というより、「知覚や感覚、感情の遮断」というくらいの方が正しいかもしれない。そもそも脳は、受信する...