不用意さ

それなりに気を付けてはいるつもりなのだが、気付かないうちに、不用意に、何かを大切にしたいと思ってしまうなと思う。あらゆるものは、指の隙間からこぼれ落ちていく。こぼれ落ちるのを悲しいとか、寂しいとか、いっそ醜く執着する気持ちが生じてしまう。

 

我儘で好意を抱いたり、敵意を抱いたりする。出来れば、そういうものから逃れたいと思っている時点で、そういう気持ちに囚われているのだと思う。

健全かどうかはわからないが、時間であったり、場所であったりをずらしていくことで、離れていくことでしか、そういう気持ちは相対化しづらいように思う。近くにあると、どうしても絡まってしまう。

 

上善如水、という。おそらく、水は自らが流れることにも、他者が流れていくことにも、非常にさらりとしているのだと思う。だからこそ巡り、永きに渡って維持される。さらりと流れているから、また海であったり、空であったりで出会うこともあるだろう。

作為の中で生きていると、どうしても難しさもあるのかもしれないが、永くあるために、今を流していく。そういう人格になれると良いなと思う。