憎しみ

人なので、人を憎むことがある。恨むことがある。

どんな時に憎しみが生じるのか、恨みが生じるのかというと、欲しいものがある時に、だと思う。なぜ、自分のものにならないのか、自分は得ることができないのか。そう思う時に、憎しみであったり、恨みであったりが生じる。

 

憎しみや恨みは、欲望の裏の顔だと思う。憎しみや恨みは、欲望と仲良しだと思う。そして、欲望は人と仲良しだと思う。

憎むと惨めで、憎まれると悲しい。ごく正直に、そう思う。だから、なるべくなら、欲望に触れずに生きたいと思う。強い欲望を持てることは1つの才能だとは思うけれど、欲望に触れられてしまうのは、自分の未熟さだと思う。愚かだから、憎しみや恨みに触れてしまう。それを振り返らなくてはいけないと、そういう夜は、そう思う。

 

悲しいという気持ちは人間にとって、たぶんとても大切だと思う。自分の悲しさを認めないと、受け入れないと、誰かの悲しみに想いを馳せることができない。悲しみを受け止め合うことは、たぶん、人間にとって大切だと思う。

一方で、具体的な処理については、なるべく合理的に考えることも大切だと思う。どんなに悲しくても、前に進んだ方がきっと良い。それぞれの個人が、それぞれの組織が前に進もうとする力もまた、人間にとっては欠くことができないだろうと思う。