共同体

現実、つまり、僕たちが今いる場所には法がある。ここで「法」と言っているのは、世界を存在させている決まり事、約束事、法則、みたいなものを指している。

すごく大きくわけると、人が作った法と、人が作ったわけではない法がある。睡眠が不足すると体調が悪くなるとか、怪我や病気がすぐに元どおりには治らないとか、そういったものは人が作ったわけではないだろう。一方、誰かを殺してしまったら、裁判といったプロセスを経て処罰される(私刑されたりはしない)というのは人が作った法だと思う。

 

人が作った法の一種とも言えるが、必ずしも明文化はされていない集団が作った法というのもある。誰かを殺したら、捕まるか捕まらないか、有罪か無罪かということに関わらず、「人殺し」だと言われるだろう。いわゆる規範とか、共同体意識とか、そういったものは集団が作った法だが、誰が作ったかは曖昧で、短期間に個人で変更することは困難である。

共同体というのは、原則としては意識の共有によって成立する境界が形成する。ある共同体には、その共同体に特有の意識があり、それを共有している存在によって、その共同体は構成される。家族にせよ、学校にせよ、会社にせよ、規範や意識の共有が共同体というものを成立させている。その共同体の境界の外では、その規範や意識は必ずしも成立しない。

 

生きていると、息苦しさを感じることもある。縛られている、閉じ込められていると感じることもある。大切なのは、そう感じるにはそれなりの理由や構造があると思うことだと思う。

どういう強さで、どういう範囲で、どういう効果をもたらしている法によって、自分は今、何を感じているのか。変更可能で、選択可能なものがわかれば、少し見通しが良くなることもあるはずだと、僕は思っている。そう思って、常に事象を見つめていたいと僕は願っている。

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