アンコンシャス

アンコンシャス・バイアスというのはアンコンシャスなのだから、気付けないということだ。「あなたはわかっていない」という批判は、アンコンシャスであることにアンコンシャスである、という構造を孕んでいる。

 

一方で、どこまでわかっていれば主張をして良いのかは難しいなと思う。生きていくということは、主張していくことである。そして、多くの場合は人と生きていかなくてはならない。僕が生きているように、誰かも生きている。身近な人であっても、遠い人であっても、もちろん確信はないけれど、たぶん生きていて、それぞれに主張がある。

仙人のような在り方もあるとは思うが、僕たちが仙人という存在を知るということは、仙人もまた、人と生きていたということだろう。僕が仙人という生き方の何に感じるかというと、その主張の純粋さ、シンプルさなのかなと思う。

 

少なくとも僕には、わからないことしかない。出来ないことしかない。それで人を不快にしたり、傷つけたりしていると思う。でも、不快にしたり、傷つけたりしたいわけではなく、僕は僕なりに何かを知りたい、取り組みたい、と思っている。それを最優先にはできないけれど、なるべくなら人を不快にすることは望んではいないし、なるべくなら焦らずに、何かに気付いて、気付いたならまた少し歩く、くらいで生きていけると良いなと思う。

なるべくなら、身近な人には幸せであって欲しいとも思う。僕の存在と誰かの幸せは、これは僕の主義として、関係はほとんど無いと思っているけれど、ごく単純な祈りとしてはそう思う。