健やかさ

健やかに生きるということは例えば、きちんと睡眠を取り、ちゃんとした食事をして、適度に身体を動かし、知恵を求めて、なるべく簡素で清潔にして、欲を薄くして過ごすことだと思う。

人間には自分というものがあって、これがいろいろなものを動かしていく一方で、邪魔をする。本当はぼんやりと、木偶の坊のように生きるのが良いのかもしれないと思うけれど、自分というものが邪魔をする。安心というのは自他不二であったり、無縁であったり、つまり、一切すべてを等しく、斉しく観るというところから現れるのだと思うけれど、偏りがあって、不安があるから人間だという気もする。

 

大切なことは、自分の健やかさがどういうものかを深めていくことだと思う。他者の健やかさを損なわない方が調和的だと直感的には感じるが、攻撃的な人も全体の調和の中で存在している。今があるということは、世界は不調和も調和として許容しているということだと思う。

普通の人は、静かな場所で座禅を組んで悟ることはできないと思う。それは、健やかさを知るためのきっかけにはなるかもしれないけれど、調和は混沌の中にあって、不調和や無秩序を満身で感じることで垣間見えてくるという類のものだと思う。

 

人間というのは不安だからだろう、喧嘩ばかりしている。ただ、外から見るとそう見えるだけで、どちらかと言うと、不安だから寄り添っていて、寄り添うためには喧嘩をしないといけないのだろう。「仲間」みたいなものが好きな人の方が、喧嘩をしているように感じる。

あまり複雑に考えずに、他者も自分も、なるべく疑うことも信じることもしないというのが、僕にとっての健やかさかなと思う。