憤り

幼い頃は、自分の目に見えること、自分の感じることでしか世界を理解できず、世界に何かを働きかけることができると思っている一方で、臆病で、むやみやたらと攻撃的で人を傷つけていたと思う。今もやはり人といると、そういうことをしてしまうことがある。

ただ、傷つけたり、傷つけられたりというのはやっぱり嬉しくはなくて、あまり生産性が高いようにも感じないので、他者との境界が争いを生む状態はなるべく少なくしたいなと思う。単純に、疲れる割には大して得るものがないと感じるのかもしれない。

 

人を傷つけてしまう理由はいろいろあると思うけれど、パッと思いつくもので言うと、「自分自身が傷つきやすい」、「他者に影響を及ぼせると勘違いしている」の2点だと思う。どちらか一方が強いこともあれば、双方とも強いこともあると思う。

あまり傷つかずに、他者に影響を及ぼしている気分になれるものとして、コミュニティがあると思う。ディベートやディスカッションという形で、衝突を合理的なものとして置き換えているケースもあるが、個人的には集団というのは人を守るためにあると同時に、人を傷つけるためにあると思っている。コミュニティが良くないというよりは、人というものは、人といるとケンカするものである、というくらいのことかもしれない。そもそも集まるという行為が、他者の排斥を含んでいる。

 

僕は人といるのが基本的には苦手なので、憤りや傷つけ合うことを避ける方法として、なるべく自分が何をどう感じていて、何を美しいと思っていて、本質をどう考えているのかを、他者を交えずに思考することを選びたいと思っている。自分にとって好ましいことであれば、他者がどんなに批判的でも対処できると思えるくらいに思考したいと思っている。きちんと考えていくと、むやみやたらに、なんでもかんでも批判されたり、何もうまく進まなくなったりということは少なくなるのではないかという期待もある。

他者に対して必要なことは感謝だと思う。そして、期待ではないと思う。僕が誰かの期待に応えないように、誰かも僕の期待に応えたりはしないだろうし、応えられても困るだろうと思っている。