綺麗な世界

加藤一二三は少年時代にある観戦記を読んで、「将棋には巧い手、いい手というものがあって、いい手を差し続けていけば成功するものなのだ」と受け止め、それが将棋観に影響を与えたという。

また、将棋を始めた頃に詰将棋の本を読んで、「将棋にはすばらしい手がたくさんあって、そのすばらしい手で攻め続けていくと玉を詰ますことができるんだ」と感じたという。詰将棋に取り組むことは、将棋の綺麗な世界という一面を知ることになる、と。

 

こういう比喩は好きではないが、それは人生にも通じるところがあると、個人的には思う。綺麗な世界は、人に生きる根拠を与えてくれる。特に少年少女の時代は、綺麗さを、正しさを、すばらしさを希求するものだと思う。

ただし、実際に生きていくと綺麗ではない世界というのも見えてくる。綺麗な世界を見つめ続ける強い精神は特異な才能で、老いても若いままの美学に生きるというのは、ほとんどの人には不可能だろうと思う。むしろ、綺麗でない世界に絶望する人もいるだろう。

 

加藤一二三は、詰将棋は一生をかけて夢中になるようなものではない、とも言う。「魅力はあるけれども、そこそこのところでけじめをつけたほうがよい」と。

綺麗な世界でないと知った時に、世界はより拓かれていく。世界は完全に綺麗ではないかもしれないけれど、完全に綺麗でないわけでもなくて、その広がりがまた綺麗さを見せてくれることもあると思う。世界が綺麗でないことは絶望ではなくて、希望なのかなと思っている。

ユリイカ 2017年7月号 特集=加藤一二三 ―棋士という人生―