考える

考える、という行為を考えた際に、普通は何か対象や目的があって、それが解決されればうまく考えられたということになるし、解決されなければ考えるという行為として不備があった、ということになると思う。

例えば、テストの点数であったり、就職活動であったり、日々の仕事や家事であったりにおいて、それが何であるかということを考えると思うけれど、正しく考えられていれば期待した成果や効果が得られる。だから普通は、うまくいったということは正しく考えられたということに繋がる。

 

もう一段階、考えるということを押し進めると、なぜうまくいったのか、あるいはうまくいかなかったのかということを考えることになると思う。うまくいった理由に再現性があれば、次もうまくいく可能性が高いし、うまくいった理由がわからなければ、まだ十分に考えられていないような気がする。うまくいかなかった理由がわかれば、とりあえずはそれを改善するだろう。

そうしていくと、どうすればうまく考えられるのか、に興味が湧いてくると思う。考えるという行為の性質だったり、実際の行動や体験との繋がりだったりを考えていって、知る、という行為が少しずつ見えてくるのではないかと思う。そもそも、うまくいったとは何かも考える必要が出てくる。この段階になると、思考は外というよりは内に向いてきて、己を知るというテーマに近づいてくる。

 

これはベルグソン風に言うと、普通とは反対方向に考えていて、現実に接地していた思考が少しずつ現実から遊離してくる。この思考は必要ではあるが、あまりやり過ぎると精神を病んでしまうので、適度ということが大切だと個人的には思っている。まあ、バランスだろうというくらいの意味合いで。

目的に対しての思考は比較的に簡単だが、その思考はそこだけでは完結しないし、思考のフェーズが変わることに自覚的でないと、考えるということが難しく感じてしまうだろう。自分が何を考えているのか、たまには考えられると良いなと思う。