量子力学的

デカルトであったり、古典力学であったりの恐ろしいところは、その近似が人間にとってわかりやすい点だと思う。

結果には原因があり、それらは対になっている。分解と統合は可逆的である。これらは思考操作という、厳密性の低い脳内ではわかりやすい。

 

仏教でも「因果」ということが言われる。しかし、そこに「縁起」という、ある事象はそれ自身が独立して存在するものではないという概念が追加され、故にすべては「空」ということになる。

空観は、『中論』を著したナーガールジュナ(龍樹)によって基礎づけられた概念とされ、紀元3世紀頃に発達している。縁起と空という考え方は、それはそれでとてもリーズブルで理解しやすいように感じる。

 

人間というのは、自分の思い込みによって世界を解釈してしまう。だから、「わかりやすい」ということは恐ろしいことだと思う。

わかりやすいと、その考え方で以ってわかってしまう。一度わかってしまうと、そう簡単に「わからない」という感覚を持つことはできない。

 

量子力学的にいうと、原因と結果は1対1では対応しないし、分解して統合すれば元に戻るということもない。個人的には、その方が世界の真実に近いように感じるが、わかりやすくはないので、そんな風に世界を解釈できるように人間が変化するのは不可能か、もしくは、とても時間がかかるように感じる。

もちろん、100年前の常識について、我々は「何故、そんなことを当たり前だと思っていたのだろうか」と感じることも多いのだから、もしかしたら、今まさに生まれた子どもが大人になる頃には、デカルト的、古典力学的な感覚を信じていた人々の気持ちがわからないということになるのかもしれない。

 

「わからない」と思い続けることが、多少なりとも物事をわかっていくためには不可欠な感覚だと思う。